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2010年08月13日

Rest in Peace Dr. Genka

沖縄市中央で【源河医院】の二代目先生として、街のお医者さん、またある時は街つくりに情熱を傾ける知識人として、皆のお父さんというかお兄さんというか、私の世代からすれば百科事典のようなおじ様といった存在の、源河先生が8月7日に亡くなられました。


今日は、もう初七日です。



Robさんとは一つ違い。でも、落ち着きや人格などは別格の存在感でした。
人が集まる席では、Robさんの所へ来て必ず声をかけてくださった先生。

Robさんと二人で楽しそうに英語でお話していたのが、印象的でした。
最後に見かけたのは、火曜日のお昼。パークアベニューを夏のスタイルで歩いていました。

何故か、その日は「あ~、最近源河先生とゆっくりお話していないなー。ちょっとお疲れっぽかったしまた今度、でいいかな。」と、妙に気になった私。
でも、無性に話がしたかったとか、そんな虫の知らせなんてなく…凡人の自分を悔やみました。


源河先生とは、先生が沖縄に戻られてからコザクラでご一緒するようになり、私の両親のかかりつけ医でもあったという事で、お会いするたびに色々とお話をしてくれました。

お勉強関係のお話や、医学の話、語学の話や異文化について。

たわいも無い日常の話しの中に感じられるのは、街つくりへの情熱。

とにかく色々と、もっともっとお話がしたかった。今は、そんな悔しい気持ちでいっぱいです。


先生が亡くなられたのを知ったのは、たまたま7日の夜、母に届けものがあり実家の近くに住む源河先生のご自宅の前を通ったとき。

家の前には【弔中】の明かりが。。。
仕事から戻る途中の母に電話をして、源河医院の前で待っているから。と、言って母を待ちました。

既に入院をしていたのを知っていた母も、到着して事情を悟り私としばらく車の中から先生のご自宅と、病院の前を眺めてポツリポツリと思い出話を。

きけば、私の祖父と先代の源河先生ともお付き合いがあり、お世話になっていたというんです。

ああ、こういう縁があったんだね。だから、私も源河先生と知り合うようになったんだね。なんて、話をしていました。


東京から沖縄に拠点を移して6年ほど。
今まで離れていたコザの街を活気つけたい!と、ご尽力されていたのはご承知のとおり。

片道切符を手にした先生は、しばらく遠いところへ旅に出ています。

色々と、お忙しかったでしょうから少しのんびりして、たまには『そういえばみんなどうしているかな?』と、気にしてくれると嬉しいです。でも、あまり気にしすぎるとゆっくり出来ないですね。

  久方の 光差す道 我示す
  道迷うなき 次の旅路も

もう読んではもらえない記事の更新も、どこか寂しいけれど
この次にお会いした時には、またいっぱいお話を聞かせてください。

それまで、お元気で。さようなら。
ご冥福を心からお祈りいたします。


※四十九日の法要も、本日合わせて執り行うとの事です。


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Posted by Hikaru72 at 09:00 │Blue eyes的おきなわ